東京地方裁判所 昭和35年(レ)149号 判決 1965年8月31日
控訴人 飯塚正二
被控訴人 深谷実
主文
一、原判決を取消す。
二、被控訴人の本訴請求を棄却する。
三、被控訴人は、控訴人に対し金三、〇七五、八二四円および右金員に対する昭和三五年三月二五日より完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。
四、控訴人のその余の申立を棄却する。
五、訴訟費用のうち、本訴につき生じた部分は第一、二審を通じて被控訴人の負担とし、控訴人の仮執行に基く損害賠償申立につき生じた部分はその三分の一を被控訴人、その余を控訴人の各負担とする。
六、本判決の第三項は控訴人において金一〇〇万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
第一当事者双方の本訴における申立
一 控訴代理人は、主文第一、二項および第五項前段と同旨の判決を求めた。
二 被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
第二控訴人の民事訴訟法第一九八条第二項に基く申立
一 控訴代理人は原判決の仮執行により控訴人の受けた損害の賠償として左記判決ならびにこれに対する仮執行の宣言を求めた。
(一) 被控訴人は、控訴人に対し金九一〇万円およびこれに対する昭和三五年三月二五日より完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。
(二) 申立費用は被控訴人の負担とする。
第三当事者双方の本訴における主張
一 被控訴人の請求原因
被控訴代理人は、本訴の請求原因として次のとおり述べた。
(一) 被控訴人は、昭和一三年一〇月九日控訴人に対し自己所有にかかる別紙目録<省略>記載の建物(以下本件建物という。)のうち同目録(一)記載の部分(以下本件建物部分という。)を、期間の定めなく、賃料一ケ月金二一円の約にて賃貸し、その後右賃料は同二五年八月以降一ケ月金六〇〇円、同二七年一二月以降一ケ月金一、二〇〇円、同二八年一月以降一ケ月金一、五〇〇円に順次増額された。
(二) しかるところ、
(1) 被控訴人側に次に述べるような自己使用の必要を生じたので、被控訴人は、控訴人に対し、昭和三二年八月一五日付翌一六日到達の内容証明郵便による書面をもつて、右賃貸借契約につき解約申入をなした。
(2) 右解約申入の正当事由は次のとおりである。
被控訴人は、右解約申入当時小学校の教員をしていたが、満六〇才に達して定年退職間際にあり、妻は産院を経営していたが、その収入も近年とみに減少するに至り、長男幸作(昭和六年生)は昭和三二年三月獣医学校を卒業後、保証牛乳株式会社に入社したが、一ケ月金七、〇〇〇円の薄給で、結婚適令に達しているのに、独り立ちできない状況にあつた。
そこで、被控訴人は長男の経歴を生かす職業を考え、控訴人から本件建物部分の明渡を受けて、これを食肉販売および食堂の店舗に改造したうえ、長男と共にその営業により退職後の生計を立ててゆきたいと思つていた。
被控訴人には、右のような自己使用の必要があつた。
一方、控訴人は本件建物部分に店舗を構え畳製造販売業を営んでいたが、昭和三三年六月下旬附近の世田谷区松原町三丁目八七五番地に所在する木造瓦葺平家建一棟建坪約一三坪五合の家屋を買受け、同年八月一〇日頃これに接続して木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟建坪七坪五合、二階七坪五合の家屋(以下両家屋を併せて、第二家屋という。)を新築し、ここにさらに畳屋の店舗を設け、且つ新住宅を構えた。
ところで、控訴人の家族は夫妻のほか高校ないし小学校に在学中の子供四人であるから、第二家屋があれば、その住居に何の不自由もなく、また、第二家屋は京王線下高井戸駅に近く、二間道路沿いにあつて恰好の場所であるから、ここだけで営業を続けても営業成績が別に不振となる虞もない。
以上当事者双方の利害を比較衡量すれば被控訴人の本件解約申入には正当事由があるというべきである。
もつとも、被控訴人は、第一審において勝訴し、仮執行により本件建物部分の明渡を受けた後、従前の計画を変更し、本件建物を取毀してその跡に新たに建物を建築し、これを店舗および貸室用に充て、右店舗においては自ら飼料販売業を行うことになつたが、これは本件解約後の社会経済情勢の変化ないし被控訴人一家の財政上の事情から止むを得ずとつた措置であつて、被控訴人は現在においてもなお将来資金を蓄積して、食堂又は食肉販売或いは綜合マーケツト等の経営をする計画を持ち続けているものである。従つて、正当事由に関する基本的事情は、解約申入当時と何ら変つていない。仮りに、現在においては解約申入の正当事由が存しないとしても、右事由は、少くともその申入当時から六ケ月間継続すれば足りるのであるから、解約の効力が発生した後に右正当事由が消滅したとしても解約の効力には影響を及ぼさないものというべきである。
(3) さすれば、被控訴人の本件解約申入は、法定期間六ケ月を経過した昭和三三年二月一五日限りその効力を生じ、本件賃貸借は同日終了したものといい得る。
(三) しからば、控訴人は本件賃貸借終了に基き被控訴人に対し、本件建物部分を返還すべき義務あるものというべきところ、控訴人は右終了日以降も返還義務の履行を怠り、よつて被控訴人に対し相当賃料額に該る損害を被らせつつあるものである。
なお、控訴人は本件建物部分を賃借中その階下四坪の土間の南側と西側に別紙目録(二)記載のトタン葺奥行三尺の張出しを附加し、且つ本件建物部分の二階の曲手隅に別紙目録(二)記載の一坪五合の部屋を増築した。(以下、右張出しおよび増築部屋を本件建増部分という。)さらに、控訴人は昭和二五年頃本件建物の敷地の東北隅に別紙目録(三)記載の間口一間半奥行一間のバラツク建物置(以下本件物置という。)を建てたが、控訴人はその頃被控訴人に対し、本件建物部分返還の暁には本件建増部分および本件物置を収去してその敷地を明渡す旨を約したものである。従つて、控訴人は、本件賃貸借終了に伴い本件建物部分の返還義務を負う以上、本件建増部分および本件物置を収去してその敷地を明渡すべき義務がある。
(四) よつて、被控訴人は、控訴人に対し、(1) 本件建物部分の明渡、(2) 昭和三三年二月一日から同月一五日までの本件建物部分の一ケ月金一、五〇〇円の割合による未払約定賃料および同年同月一六日から明渡ずみまで相当賃料額たる右約定賃料と同額の割合による損害金の支払、(3) 本件建増部分および本件物置の収去によるその敷地の明渡を各求めるため本訴に及んだ。
二 控訴代理人は、請求原因に対する答弁および抗弁として、次のとおり述べた。
(一) 請求原因に対する答弁
(1) 被控訴人の請求原因(一)の事実のうち、期間の点を除くその余の事実は認める。期間については後記抗弁の項において述べるような特約があつたものである。請求原因(二)の事実のうち、被控訴人主張の内容証明郵便による解約申入の書面が到達したこと、控訴人が本件建物部分に店舗を置き、畳製造販売業を営んでいたこと、被控訴人が原審判決の仮執行により本件建物部分の明渡を受け、その後本件建物を取毀して現在の建物を新築したことはいずれも認めるが、その頃被控訴人が定年退職間際の小学校教員であり、その長男が薄給で結婚適令にありながら独り立ちできない状況にあり、被控訴人は本件建物部分の返還を受けてこれを食肉販売等の店舗に改造し、長男と共にその営業により生計を立てようと思つていたとの点は不知、その余の事実はすべて争う。請求原因(三)の事実のうち、控訴人が本件物置を建築所有し、その敷地を占有していることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。
(2) 被控訴人の本件解約申入には正当事由が存しないものである。即ち、
(イ) 被控訴人は昭和三三年三月従前の勤務先である羽根木小学校を定年退職したが、約四〇〇万円の退職金を受領しており、そのうえ世田谷区松原町に本件建物のほか七棟の家屋(家屋番号同町七四二、七四六、七六九、七九一、七九一の二、八一四、八一五番)を所有し、そのうち本件建物を含め六棟を賃貸して一ケ月金六、九〇〇円の賃料収入をあげ、残りの二棟のうち三畳一五室を有する一棟を右全室間貸をして一ケ月金三二、〇〇〇円の賃料収入をあげており、なお妻さわは産院を経営して相当盛業中であり、扶養家族は他に一人もなく、生活不安等は全く存しないのであるから、強いて控訴人から、本件建物部分の明渡をえて営業を始め、より以上に生活の安定をはかる必要性など全くない。
しかもこれよりさき被控訴人は昭和三一年一二月頃不動産業者若林源一に対し、本件建物およびその敷地四八坪の売却方を依頼し、また翌三二年一月末および同年四月頃には控訴人に対しても、本件建物および敷地を併せて金四〇〇万円で買取るよう申入れたことがあり、右は控訴人が代金減額ないし分割買取を要望したため沙汰止みとなつたが、さらに、被控訴人より同年五月初旬控訴人および本件建物のもう一人の居住者北村長伊に対し、本件建物を取毀してその敷地および隣接空地の上に二階建アパートを建築し、改めて控訴人等にもその一部を賃貸したい旨の申入れがあり、これまた合意に至らずそのままになつていたものである。
以上の経緯からすれば被控訴人は本件建物の処分ないし、より有利な利用方法を意図していたに過ぎず、これを自ら使用する必要など全くなかつたものというに妨げない。
仮りに、被控訴人にその主張のような食堂等経営の必要があつたとしても、被控訴人は、本件建物の北側に隣接して階下七・七五坪、二階七・七五坪計一五・五坪の空家を所有しており、これで不足ならばその東側裏手に隣接する空地二四坪を利用して増改築するとすれば、優に床面積約三〇坪の建物を建設することができ、これを三階建にすれば総坪数一〇〇坪近くの店舗を建築できるから、被控訴人等の経営目的に添う充分なものを確保できるわけであり、控訴人から本件建物部分の返還を受けて店舗改造をする必要性は全く存しないものである。
(ロ) 一方控訴人は、昭和一三年一〇月本件建物部分を賃借して以来一度として賃料支払その他賃借人の義務を怠つたことはなく、また、ここにおいて、永年真面目に仕事に精出してきた結果、近辺に顧客も増え、業態もかなり、隆盛を告げ、ために近年畳表製造にも場所的狭隘を感ずるに至つたので、近所に仕事場を求めて窮場をしのいでいる次第である。そして本件建物部分においては主として畳表およびその附属品の店頭販売や注文受けなどを行つているが、もし本件建物部分を明渡すとすれば、この多年の苦心の結晶である地盤を一朝にして失うことになる。
そうとすれば、控訴人が本件建物部分を明渡すことにより受ける損失は、仮りに被控訴人にその必要ありとしても被控訴人が明渡を受けられないことにより受ける不利益に比し、遥かに大なることは明らかである。
しからば被控訴人の本件解約申入は、正当事由を欠き、その効力を生ずるに由ないものといわなければならない。
(二) 抗弁
(1) 被控訴人は、控訴人に本件建物を賃貸するに当り、控訴人との間で、本件建物部分は控訴人において任意明渡をしない限り解約申入をしない旨特約したものである。
(2) 仮りに、本件解約申入の効力が認められるとするならば、控訴人は、被控訴人に対し本件建物部分に附加した造作につき時価をもつて買取ることを請求し、その代金の支払あるまで、本件建物部分につき留置権を行使する。
三 被控訴代理人は、控訴人の右抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。
(一) 抗弁(1) の事実は否認する。
(二) (2) の抗弁は、時機に後れた防禦方法であるから却下さるべきである。
第四控訴人の民事訴訟法第一九八条第二項に基く申立およびこれに対する被控訴人の答弁
一 控訴代理人は右申立の原因として次のとおり述べた。
(一) 被控訴人は原判決に付せられた仮執行の宣言に基き昭和三五年三月二二日本件建物部分明渡の仮執行をなしたうえ、同年四月二二日頃これを取毀した。
(二) ところで、原判決が当審において取消された場合には、被控訴人は控訴人に対し右仮執行により控訴人が被つた損害の賠償をなすべき義務あることは民事訴訟法第一九八条第二項の明定するところであり、本件はまさに右取消の場合に該当するものというべきところ、控訴人が前記仮執行により受けた損害は次のとおりである。
(1) 控訴人は被控訴人の仮執行により本件建物部分における営業をなしえなくなつたため、昭和三五年三月二二日以降仕事量の減少により一ケ月金三万円、店頭販売による商品売上高の減少により一ケ月金一五、〇〇〇円合計一カ月金四五、〇〇〇円の減収をみ、同額の得べかりし利益を喪失した。
しかして、控訴人が本件建物部分において右明渡当時の状態で従前の営業を継続する場合には、本件建物部分はその耐用年数に徴し向う一五年間使用可能であつたから、控訴人は前記仮執行により右期間にわたり合計金八一〇万円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を被つたこととなる。
(2) また、控訴人は右仮執行の結果、結局本件建物部分の賃借権を失い、さらに将来益々発展する好適の商店街における店舗および住居を奪われたことになり著しい精神的苦痛を受けた。しかして右苦痛を慰藉するには金一〇〇万円をもつて相当とする。
(三) よつて、原判決の取消を前提として控訴人は被控訴人に対し右物心両面の損害賠償金合計金九一〇万円およびこれに対する右仮執行の後である昭和三五年三月二五日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被控訴代理人は、右申立の原因に対する答弁として、「右原因事実のうち、同(一)の事実は認めるが、その余の事実はすべて否認する。」と述べた。
第五証拠<省略>
理由
第一本件賃貸借解約の成否
一 被控訴人が昭和一三年一〇月九日控訴人に対し本件建物部分を賃料一カ月金二一円の約定で賃貸し、その後右賃料は順次増額されて昭和二八年一月以降一ケ月金一、五〇〇円になつたこと、および被控訴人が控訴人に対し昭和三二年八月一五日付翌一六日到達の内容証明郵便による書面をもつて、右賃貸借契約につき正当事由に基く解約申入をなしたことについては当事者間に争がない。
控訴人は右賃貸借については、控訴人において任意明渡をしない限り解約申入をしない旨の特約があつたと主張するが、原審における証人飯塚よねおよび控訴人本人の供述の程度をもつては未だかかる特約の存在を肯定するに足らず、他にこれを肯認すべき何らの証拠なく、原審における被控訴人本人尋問の結果およびこれにより成立を認め得る甲第二号証によれば、右賃貸借契約は単に期間の定めなきものとして締結されたものと認め得る。
二 そこで、次に、右解約申入につきはたして正当事由が存したか否かについて判断する。
(一) まず、被控訴人側の事情をみるに、
各成立に争のない乙第五ないし第一一号証、同第一五号証の一ないし一三、同第一六号証の一、二、原審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認め得る甲第八号証、当審証人深谷幸作の証言によつて成立を認め得る甲第一〇号証、原審証人深谷さわ、同若林源一、当審および原審証人北村長伊、同飯塚よね、同深谷幸作の各証言、原審および当審における控訴人、被控訴人の各本人尋問の結果ならびに当審および原審における検証の各結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。即ち、被控訴人は後記のように六軒の貸家を所有し、家賃収入をあげていたが、その収益にあきたらず昭和三〇年夏頃控訴人等借家人に賃料増額の交渉をしたところ断られ、また、翌三一年暮頃から翌年初めにかけて控訴人に対し本件建物およびその敷地を金四〇〇万円で買取るよう折衝したが、代金額等の点で折合いがつかず、結局売買は成立しなかつた。
ところで、被控訴人はその頃小学校教員をしていたが、満六〇才の定年退職を間近に控え、同人の妻さわは産院を営んでいたが近年とみに客が減少し、長男幸作は昭和三二年三月に麻布獣医大学を卒業後、都立衛生研究所を経て、保証牛乳株式会社に入社したが、初任給は日給三〇〇円の薄給であつた。(但し、同年一二月以降は月給一一、〇〇〇円に昇給、その後順次昇給して昭和三五年五月以降は月給一六、九〇〇円になつた。)そこで、被控訴人は長男幸作の経歴を生かす職業を考え、控訴人から本件建物部分の明渡を受け、後記隣接の空家と併せてこれを食肉販売兼食堂経営の店舗に改造し、長男と協同経営をする計画を立て、控訴人に対し本件建物部分の明渡方を求めたが、控訴人の応ずるところとならなかつたので、被控訴人は前記のとおり昭和三二年八月一六日到達の書面をもつて、自己使用の必要を理由として控訴人に対し本件賃貸借の解約申入をなし、次いで控訴人を相手方として調停の申立をしたがこれも不調に終り、遂に本件訴の提起となつた。なお、被控訴人は当時本件建物のほかに七軒の家屋を所有し、そのうち本件建物を含めて六軒を他へ賃貸して一カ月合計金六千円余の賃料収入をあげ、残り二軒のうち三畳間一五室を有する一軒を右全室間貸をして、一ケ月約金三万円の賃料収入をあげており、残りの一軒即ち本件建物の北隣の一軒は昭和二八年頃以来空家のまま放置してあり、さらに、本件建物の北東側裏手には約一七、八坪の空地があつた。
とかくするうち被控訴人は昭和三五年三月一七日本件訴訟の第一審において勝訴するや、同月二二日同勝訴判決に基く仮執行をなして、控訴人から本件建物部分の明渡を受け同年四月下旬にこれを取毀したが、さらに本件建物のもう一人の賃借人北村長伊に交渉して昭和三六年二月中同人居住部分の明渡を受け、前記空家と共にこれを取毀し、同年九月頃から工事に着手して同年暮に一階店舗三二坪、二階貸室三二坪の建物を右取毀跡の敷地四八坪上に完成した。
なお、被控訴人は昭和三三年三月末定年退職したが、退職金二三〇万円、恩給三ケ月当り金六五、〇〇〇円の支給を受けており、長男幸作は昭和三六年一〇月末頃従前の勤務先から退職し、父子協同で右新築建物の一階を事務所、原料置場、車庫などに使用して(但し、昼間は殆んど鎧戸を下したままにしている。)、畜産飼料の販売業を営み、右建物の二階部分はアパートにして、他に賃貸し、一カ月約五万円の賃料収入をあげているものである。
原審および当審証人深谷幸作の証言、ならびに、原審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する供述部分はにわかに措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
(二) 次に、控訴人側の事情をみてみるに、
原審証人深谷さわの証言、原審における被控訴人本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第六号証、各成立に争のない甲第九号証の一ないし四、乙第三号証、原審および当審証人飯塚よね、原審証人北村長伊、同大堀禎次郎、当審証人小野塚稔、同安藤栄一の各証言、原審および当審における控訴人ならびに被控訴人の各本人尋問の結果に、原審および当審における検証の各結果を綜合勘案すれば、次の事実を認めることができる。即ち、
控訴人は、昭和一三年被控訴人から本件建物部分を賃借して以来、ここにおいて畳屋を営んできたが、本件建物部分は京王線下高井戸駅前から西方に通じる道路に面した角地に位置(駅からの距離約二〇〇米。)し、右道路の両側に連なる商店街が戦後急速に発展したため、これに応じて控訴人方の顧客も漸増し、営業は順調に伸びつつあつた。そのため、本件建物部分では、仕事場および職人、子供等の寝所などの点で全く手狭となつたので、控訴人は本件建物部分の南方約一五〇米のところに所在する被控訴人主張の家屋を他から買受けて、これに増築を加え(第二家屋)その一部を仕事場や職人、子供等の寝所に充て、他の一部(三室)を他人に賃貸していた。
ところが、控訴人は昭和三二年八月被控訴人から解約の申入を受け、次いで本訴を提起され、本件訴訟の第一審で敗れて、仮執行により本件建物部分の明渡を余儀なくされたことは前記認定のとおりであるが、その結果控訴人は永年にわたつて培つてきた自己の営業の基盤の多くを失うことになり、現在店頭での畳製品の販売は第二家屋の場所的環境からしてまず期待できず、またその他の顧客もかなり減つたため、従前の職人一人を解雇せざるをえなかつた程で、これにより多大の損失を被つたことは、後記認定のとおりである。
原審証人深谷さわの証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する供述部分はにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) そこで、被控訴人側および控訴人側の右各事情を比較検討するに、被控訴人は、本件解約申入当時、定年退職を約半年後に控えていたとはいえ、その際には金二三〇万円の退職金および月額二万円余の恩給の支給を受けることになつていたうえ、他に月額約三万数千円の賃料収入があり、また、長男も当初は薄給であつたがその後逐次昇給を続ける見込があつたのであるから、いずれも緊急に新たな営業を始めなければならない程の事情にあつたものとはいい難く、また、新営業を始めるにしても、被控訴人は他に前記の空家や空地を有していたのであるから、素人の始める営業の規模からいつて、敢えて控訴人に多大の犠牲を強いてまで本件建物部分を使用しないでも、他に適当の方法をとるべき余地があつたものというに妨げなく、いずれにしても被控訴人が本件建物部分を自己使用する必要性がそれ程高度のものであつたとは認められない。(このことは、被控訴人が仮執行により本件建物部分の明渡を受けるや、直ちにこれを取毀しながら一年以上も放置し、その後漸くその敷地に新築した建物についても、その二階はアパートにして他人に賃貸し、階下の店舗部分も昼間は殆んど鎧戸を下して倉庫用に用いているに過ぎないことなど解約申入後の事情からも充分窺われる。即ち被控訴人の食肉販売兼食堂経営の計画は切実且つ必至のものではなく、本件建物ないしその敷地をより有利に活用せんとする被控訴人の意図のあらわれに過ぎないものといい得る。)これに反し、控訴人は、本件建物部分の店舗を本拠にその畳屋営業を順調に伸ばしていた矢先であり、本件建物部分が営業上非常に有利な位置にあつたことを考えると、近所に買い求めて、増築を施した第二家屋も要は不足した仕事場等を補う程度に過ぎず、到底本件建物部分に代替し得るものとはいいえないから、本件建物部分を明渡すとすれば、控訴人は多くの顧客を失い、顕著な減収を招来することが明らかである。従つて、控訴人がこれを使用する必要性は非常に高かつたものということができる。(このことは、控訴人の本件建物部分明渡後悪化した前記営業状況がこれを雄弁に物語つている。)
以上の次第で、被控訴人が本件建物部分を使用すべき必要性は、控訴人のそれを凌駕するものとは到底いいえず、従つて、本件解約申入につき正当事由を具備するものと認めることはできない。とすれば、本件解約の申入はその効力を生ずるに由ないものである。
なお、本件解約申入後のいかなる時点をとつてみても、被控訴人の本件建物部分使用の必要性が控訴人のそれに比して増大し、解約申入の正当事由を具備するに至つたと認めることはできないから、本件訴訟中不断の解約申入がなされていたとしても、その効力を認めるに由ない。
三、しからば、被控訴人の本訴請求は、すべて解約申入の有効を前提とするものであるから爾余の点につき判断するまでもなく、理由なきものとしてこれを棄却すべきであり、これを認容した原判決は失当であるから取消を免れない。
第二、控訴人の民事訴訟法第一九八条第二項に基く損害賠償申立の成否
一、(本件建物部分明渡の仮執行とその取毀)
右に関する申立原因(一)の事実は当事者間に争がない。
二、(損害賠償の範囲)
ところで、仮執行宣言付判決が控訴審において変更された場合、右判決に基き仮執行を実施した者は、相手方に対し、故意、過失の有無を問わず、右仮執行により相手方が被つた損害を賠償しなければならない(民訴法第一九八条第二項)がこの規定によつて賠償すべき損害の範囲は、ただ単に仮執行により一旦執行者に移転した執行の目的物の機械的再移転に要する直接の出費に限定されるべきではなく、通常の損害賠償の場合と同様に、仮執行と相当因果関係に立つあらゆる損害、従つて営業上の損失や精神的損害などをも含むものと解すべきである。
そもそも、仮執行宣言は、勝訴者の権利実現が敗訴者の不当な上訴によつて遷延させられることを防止するために確立された制度である。そしてそれは、裁判所自身が当該判決が上訴によつて変更される蓋然性が少いことなどの観点から判断して付与するものであるから、右判断に基いて勝訴者がなした仮執行により敗訴者が損害を被つたからといつて、上訴審による当該判決変更後は常に右勝訴者がこれを賠償しなければならないものとすることは一見甚だ酷のように思われる。しかし、仮執行による損害は、右にみるように多くの場合(判決詐取などの場合はその例外の顕著な例であろう。)、通常の過失責任の考えからすれば、その責任を追求し難いものであるからこそ、まさにこのような損害をいずれの負担に帰すべきかにつきとくに配慮する必要があるのである。
そこで、ひるがえつて考えてみるに、なるほど仮執行宣言の制度は、さきにも述べたように勝訴者の権利の早期実現をはかるものではあるが、反面法律はこれと同時に敗訴者の利害との調和に対しても考慮を払つているのである。即ち勝訴者が一応裁判所の判断に基き仮執行宣言を付与せられたとしても、上訴が許される以上、確定までは常に右勝訴判決自体が変更され仮執行の基礎が根底から覆えされる危険性をはらんでいるのであり、しかも判決は、本来は確定した後に始めてその執行をなすべきものであるから、裁判所の許可があるからといつてその確定を待たずして敢えて執行をなそうとする者は、そのような特別の利益を享受する反面、万一その基礎となるべき判決が後に上訴審で変更された場合には、予めなした執行によつて相手方に与えた損害を賠償しなければならないと解するのが衡平に合致するものというべく、これこそ勝訴者と敗訴者との利害の調和を志向する仮執行宣言制度の趣旨にも適うものといい得る。かくして、前記規定を単なる復元手続とは考えず、むしろ報償責任ないしは危険責任を根拠とする一種の無過失損害賠償を認めたものと考える立場に立つときは、その損害賠償の範囲も他の損害賠償の場合に比してとくに限定すべき理由はなく、従つて仮執行による無過失損害賠償にあつてもやはり相当因果関係をもつて限界を画するのが衡平の観念上妥当と考えられるのである。ちなみに、旧民事訴訟法第五一〇条が単に給付物の返還のみを規定していたのに対し、大正一五年法律第六一号によつて挿入された本規定が給付物の返還とともに、仮執行による損害の賠償をも新に追加して認めたのは、これによつて単に給付物の返還と同時に返還に要する費用等を併せて賠償することを認めたにとどまるものと解すべきではなく、むしろドイツ民事訴訟法七二七条二項などにならい、前記のような無過失責任の理論よりして、相当因果関係に立つあらゆる損害を、仮執行宣言の利用者に賠償させるという積極的意味をもつものと考えるべきである。
三、(損害の発生およびその額)
そこで、進んで本件についてこれをみるに、次のような損害を認めることができる。
(一) 営業上の減収による損害
(1) 成立に争のない乙第一八、第一九号証、当審証人小野塚稔、同安藤栄一、同飯塚よねの各証言、当審における控訴人本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
控訴人は、従来卸商たる安藤商店および西谷商店から畳製品(ゴザ、フトン、ジユウタンなど)を仕入れ、その仕入額は昭和三三年度には金五〇八、三〇〇円、翌三四年度には金五九五、一一五円、両年度平均年間金五五一、七〇七円、平均月額金四五、九七五円にのぼつていたがこれを本件建物部分の店頭において販売し、その三割に該る月額金一三、七九二円の収益をあげていたところ、昭和三五年三月二二日被控訴人が明渡の仮執行をなした結果、右店頭販売はできなくなり、結局右収益も全くあげえなくなつたのであるから、同日以降同額の損害を受けている。
他に右認定を左右するに足る証拠はない。
また、当審証人小野塚稔、同飯塚よねの各証言および当審における控訴人本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
控訴人の畳屋営業においては、控訴人本人のほか、その長男、三男、および小野塚稔が職人として、また篠崎七五郎が丁稚として働いていたが、職人一人の畳表替えの手間賃は一日当り金一、二〇〇円(一日八枚、一枚当り金一五〇円。)で、一ケ月二八日稼動として金三三、六〇〇円となり、控訴人はその六割に当る金二〇、一六〇円を店の利益としてあげていたところ、被控訴人の前記仮執行により、本件建物部分を立退いて以来、顧客が急に減少したため、控訴人の営業における仕事量は職人一、三人分程減少した。(ために長男は一ケ月約一〇日間の割合で他所で働き、小野塚は昭和三五年九月以来退職せざるをえなかつた。)その結果、控訴人は月額金二六、二〇八円に相当する営業利益を失つたことになり、仮執行の当日たる昭和三五年三月二二日以降一ケ月当り同額の損害を被つている。
他に右認定に反する証拠はない。
以上を合計すれば控訴人は、本件仮執行により、その当日以降一ケ月金四万円の得べかりし利益を失つたことになる。
(2) ところで、本件賃貸借は、前記認定の各事情のもとにおいては、本件建物の耐用年数の終了に至るまで存続し控訴人は、その間従前どおりの営業利益をあげ得るものと推測されるところ、当審証人石川市太郎の証言および同証言によつて成立を認め得る乙第一七号証によれば、普通木造瓦葺中級住宅店舗の経済的耐用年数は三〇年ないし四〇年であるが、これに物理的耐用年数を加味すれば右はかなり伸長されること、および同証人は不動産鑑定人として本件建物とほぼ同程度の建築後三〇年を経過した中級の木造瓦葺二階建店舗兼居宅につき将来の耐用年数を約一〇年と算定していることを認めることができる。しかしてこの事実に、成立に争のない甲第九号証の一ないし四、原審証人深谷さわの証言、原審における被控訴人本人尋問の結果および原審における検証の結果ならびに弁論の全趣旨を綜合して認定される以下の事実、即ち本件建物は、大正一二年暮頃一階建家屋として新築され、昭和一一年頃二階建に改築された中程度の木造瓦葺店舗兼居宅であつて、本件仮執行がなされた昭和三五年三月頃には既に新築後三十数年を経過しており、その間昭和一一年に改造が加えられていることおよび本件建物は角地で風通しのよい位置に存したこと、などを考えあわせると、本件建物のその後の耐用年数は大略七年と認めるのが相当であり、従つて控訴人は同期間本件建物部分において従前どおりの収益をあげえたものというベきである。
(3) そこで、右期間を通じて控訴人が被るべき減収の損害額について、ホフマン式計算法により、民事法定利率年五分の中間利息を控除して、一時に支払を受ける額を算定すれば、金二、八七五、八二四円となることが計算上明らかである。
(二) 慰藉料
当審証人飯塚よねの証言、当審における控訴人本人尋問の結果および前記認定事実を綜合すれば、次の事実を認めることができる。
被控訴人は、昭和三五年三月二二日本件仮執行により本件建物部分の明渡を得るや、間髪を入れず同年四月二二日頃本件建物部分を取毀してしまつたものであつて、そのため控訴人は、永年住みなれた本件建物部分の賃借権を奪われると同時に、これまで多年の努力により折角築き上げてきた発展途上にある営業地盤を失い、しかも右取毀によつてもはや上訴により勝訴の判決を得ても現実には回復の手段を断たれたことになつたのであるから、これにより精神的苦痛を受けたものというに妨げない。
ところで一般には財産的損害を被つたことによる精神的苦痛は当該財産的損害が賠償されることによつて癒されるものといい得るが、本件の場合は仮執行前後の諸般の事情に照らし、とくに物的損害賠償のほかに慰藉料を認めるのを相当とし、その額は金二〇万円をもつて相当と思料する。
四、(結論)
しからば被控訴人は、控訴人に対し、右減収による損害賠償金および慰藉料以上合計金三、〇七五、八二四円および、右金員に対する本件仮執行の後である昭和三五年三月二五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務あるものといわなければならない。
第三、(総括)
よつて、民事訴訟法第三八六条により原判決を取消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、控訴人の申立により損害賠償請求については、右認定の限度においてこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用のうち、本訴につき生じた部分については、同法第九六条、第八九条、控訴人の申立につき生じた部分については同法第九二条本文、控訴人の申立に対する仮執行宣言については同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 古山宏 磯部喬 加藤和夫)